どーも、わぎママです。
今日は、ほっちーが産まれた日のことを書きます。
同じ病気のお子さんを持つ親御さんの参考になればと思い、記録として書きます。
(あくまでもほっちーのケースのお話なので、全ての先天性代謝異常症の方に当てはまるとは限りません。ご理解の程、宜しくお願いします。)
帝王切開で出産
ほっちーは、2012年3月19日に総合病院で帝王切開で産まれました。
- なんで帝王切開なの?
- 帝王切開と病気は関係あるの?
とよく聞かれますが…
全く関係ありません。
帝王切開で出産した理由は、単純に逆子がなおらなかったからです。
そして、これもよく聞かれます。
- 病気だから逆子だったの?
- 逆子だと病気になるの?
と…。
逆子も全く関係ありません。
帝王切開も逆子も、ほっちーのメチルマロン酸血症とは全く関係のないお話しです。
たまたま逆子で、逆子が妊娠後期でもなおらなかった為、帝王切開術で出産することになっただけなのです。
妊娠経過について
先程、逆子のため帝王切開で出産したとお話ししましたが…。
妊娠中も、妊婦健診でほっちーの健康状態について指摘を受けたことはありませんでした。
「至って健康、問題なし!!!
逆子がなおればいいねー。」
と言うのが、毎回の診察の結果でした。
初産だったわぎママにとっては、逆子で帝王切開で産まなければならないことに、とてもナイーブになって(普通分娩ができないことにショックを受けてました)、ほっちーに申し訳ないなーなんて思ってました。
(まさか、産んだ後に生死を彷徨う病気を持って産まれてくるなんて微塵も思っていませんでした。)
なぜ妊婦健診でわからなかったのか
生死を彷徨う様な重たい病気を持っているのに、なぜ妊婦健診でわからなかったのかというと
ほっちーがお腹の中にいる時は、わぎママが臍の緒を通して赤ちゃんの代謝を代行しているからです。
(↑記憶を頼りにざっくりわかり易く書いているので、多少事実と異なる可能性があります。)
なので、ほっちーが代謝が出来なくても、わぎママが代わりにしっかり代謝して処理できるので、お腹の中にいる間は異常がなく、問題なく妊娠経過を辿るのです。
ほっちーが産まれ、病名が確定した際に、
「もっと私に知識があったら気がつくことができたのでは??」
と思い、医師に質問しました。
答えは、もちろん「NO」でした。
「メチルマロン酸血症は、産まれて検査をして気が付くか、具合が悪くなってから初めて気が付きます。なぜなら、妊娠中は他のお子さんと何も変わらなく育つからです。」
と説明を受けたことを覚えています。
そして、こうも言われました。
「わぎママとお父さんとの間にできたお子さんは、4分の1の確率でこの病気のお子さんが産まれます。」
と。
つまり、遺伝的病気で、わぎママと旦那さんとの間には4人に1人は、メチルマロン酸血症の子どもが産まれてくるということです。
生後3日目で重症化
ほっちーは、生後3日目には発作(高アンモニア血症ー800台の数値、アシドーシス)をお越し、同じ県内にある小児の血液透析治療が可能な病院に救急搬送されました。
後から知ったのですが、当時(2012年)、小児の血液透析治療のできる病院は少なく、たまたまほっちーを産んだ総合病院から30分の所にある病院が、小児の血液透析治療ができる機材を持っていた為、迅速に対応できたそうです。もし、県外まで救急搬送しなければいけなかったら、医師から説明を受けていた通り
『最悪、命を落とすかも知れません。命が助かっても、一生歩けないかもしれません。』
という未来だったかもしれません。
救急搬送をされるまでの3日間のほっちーは、ほとんど母乳を飲む事もなく(寝てしまい飲めない、飲む力がないという印象でした)よく寝ていました。
初産のわぎママも流石に、何かおかしいと感じ不安でたまらなかったことを覚えています。
血液透析開始
救急搬送されすぐに血液透析を開始しました。
わぎママは、帝王切開後だったため一緒に救急車に乗って行くことはできなかったので、旦那さんが転院先の病院に行ってくれました。
何時間か待つと…
旦那さんから、たくさんの管に繋がれたほっちーの写メが届きました。
あまりにも衝撃すぎて、その日は一睡もできませんでした。
不安定な日々が続く
血液透析の治療を開始したほっちー。
毎日、先生から受ける報告は同じでした。
『数値が安定しないです。』
無事に血液透析が終了し、高アンモニア血症が許容範囲内になっても、アシドーシスの数値がなかなか安定せず(新生児は、コントロールすることが難しいようでした)、救急搬送から3ヶ月間、NICUで入院生活を送りました。
血液透析治療が終了してからは、少しずつミルクを開始し、採血も毎日行い、薬でコントロールできるよう先生方が一生懸命頑張って下さいました。
一時期は、2800g台で産まれた体重が1600g台まで落ち、このまま居なくなってしまうんじゃないかと不安に思う時期もありましたが、3ヶ月後には、2300gまで体重が戻りました。
小児科病棟に入院
数値も安定してきため、自宅療養に向けて小児科病棟に管理入院をする事になり、これで自宅に帰れる!!!と喜んだの束の間…。
まさかのそこから3ヶ月も管理入院をするとは思っていなかった為、わぎママも精神的に疲れていました。
ただ、やはり我が子はかわいいのです。
一時期は、生死を彷徨い、もう死んでしまうんじゃないかと毎日考えていましたし、助かっても目を覚まさないんじゃないか…なんてことも、しょっちゅう考えていました。
しかし、元気に?動くほっちーにこっちが励まされ、感動しながら、なんとか管理入院生活を乗りました。
特殊ミルク(治療用ミルク)
通称Sミルク。
ご存知でない方もたくさんいらっしゃると思いますが、
先天性代謝異常症のお子さん達が飲めるように、加工された特殊なミルクのことです。
このミルクがあるおかげで、たんぱく質量の制限のあるほっちーもミルクを飲むことができました。
ほっちーが産まれてからは、たんぱく質の摂取を制限しなければならず、たんぱく質の入っていない特殊ミルクと母乳の混合で、毎回、ミルクの量を測って飲ませていました。
この特殊ミルクのおかげで、メチルマロン酸血症のほっちーもミルクを飲むことができました。
最後に
今回は、ほっちーの産まれた日から、退院までを記事にしました。
もし今、生後間もなく発作が起き、治療を行っているご家族がいらっしゃいましたら、お子さんの生きる力を信じて、お医者さんの治療を信じて待って下さい。
不安で悲しくて辛い時です。
でも、とにかく信じて待つことが、今できることだと思います。
わぎママも毎日、一喜一憂しながら、泣きながら毎日を過ごしました。
もし、何か聞きたいこと等がありましたら、気軽にメッセージをしてきて下さいね。
(わぎママは医師ではないので、そこはご了承下さい。)
もしくは、先天性代謝異常症『有機酸と脂肪酸代謝異常症の患者家族会』のHPからもメッセージを送れますので、こちらも載せておきます。
『ひだまりたんぽぽ』http://hidamari-tanpopo.main.jp
(こちらは、わぎママにメールが届く訳ではありません)
わぎママも長男を産んだ直後にネット検索をして、こちらのサイトに辿り着き相談しました。ご参考までに。
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