ほっちー転院後

ほっちー

どーも、わぎママです。

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今回は、ほっちーの幼少期のことを少し思い出しながら書きます。

こんな人にオススメ⇩

  • 先天性代謝異常症のお子さんがいらっしゃる方
  • メチルマロン酸血症のお子さんがいらっしゃる方
  • 難病児のお子さんがいらっしゃる方

注)詳しい数値などを提示する記事ではありません。あくまでも、ほっちーのこれまでの成長過程を記録したものです。わぎママの経験、記憶を元に書いたものなので、詳しい治療内容などを知りたい方は、スルーしてやって下さい。

産まれた時の事を書いた記事を読まれてない方は、こちらからどうぞ

広島県〜茨城県の病院へ

生後約2ヶ月間、広島の病院でNICU生活を送り、その後そのまま転院という形で茨城県にある病院へ新幹線に乗って移動しました。

なぜ、茨城県かというと、当時、わぎママ夫婦は、茨城県を拠点に生活しており里帰り出産で広島県に帰郷していたからです。

ほっちーの体重約2600gでの転院。

やっとここまで体重が増え、旦那さんの待つ茨城県へ。

新幹線に乗っている間も具合が悪くなるんじゃないかと、不安で泣きそうになりながら移動をしました。

その間、授乳はもちろんしないといけないのですが…

さすが、メチルマロン酸血症。

簡単には、ミルクを飲んでくれないんです(涙)

少し飲んでは、吐き…。少し飲んでは吐き…。

その度に具合が悪いんじゃないか。

飲めてないから、また発作が起きるんじゃないか。

頭の中は、そんなことでいっぱいで転院先の病院に入ったことを覚えています。

転院先での入院生活

転院先では、しばらくの間は感染予防のために個室での生活になりました。

周りに感染させるのを防ぐためではなく、ほっちーが感染に非常に弱いため(健康に産まれた赤ちゃんでも、この時期は気を使いますよね。)病室からは一切で出ずに入院生活を送ってました。

わぎママは、出れましたよ!ほっちーは、感染予防のため病室から一歩も出ず…。

入院中の唯一の楽しみが、病院の中にあった某有名なコーヒーショップで一日一回、コーヒーを買って飲むこと(笑)

今考えると、かなり贅沢な事をしたましたね。

入院中のほっちーは、結局入浴せずに退院したような気がします。

(もしかしたら、退院前には入浴したかも??)

なので、入院中のほっちーは、良い感じの匂いでしたよ(笑)

それも、今となっては良い思い出です。

自宅へ

転院から1ヶ月半後、やっと茨城県にある自宅へ帰れました。

といっても、自宅と病院は、自転車で10分以内で到着するくらい近い場所だったので、あんまり帰宅したような気分にはなりませんでした。

そして、何か心配事があればすぐに病院にほっちーを連れて行ってました。

例えば、ミルクをあまり飲めていない、嘔吐を繰り返す(よく繰り返すのですが、いつもと様子が違うなど)、元気がない、よく寝る…等、些細なことですがほっちーにとっては重要なサインだったので、ほんとに度々、病院に駆け込んでました。

今考えると、神経質過ぎたかもしれません。

でも、あの頃は、いつも死ぬんじゃないか、居なくなってしまうんじゃないかとずっと考えていました。

そんな心理状況なら、当たり前ですよね。

ただ、病院に駆け込んでも半分は大した事じゃない場合が多かったです。

メチルマロン酸血症の子どもは、吐くこともミルクを飲まないこともよくある事なので、異常ではないこともあることに慣れるのに時間がかかりました。

少しでもミルクを飲んでもらうために、ずっと片手に哺乳瓶を持ってました。(ミルクの量は決められていたので、哺乳瓶からしかミルクを与えてません。なので、初めての授乳は、ほっちーが産まれてすぐの数回のみで直母は終了してしまいました。これは、結構悲しかったです。ほっちーを失うことを考えたら、大したことはないのですが、かなり落ち込みました。)

ミルクもほっちーが飲める量が少ないため、途中からミルクに糖水+MCTオイルを足して飲ませてました。

飲める量がほとんど少ないので糖水+MCTオイルの方が多い日も多々ありました。

生活は、ほっちーを連れ出すことは、ほとんどしていません。

常に引きこもり生活。

メチルマロン酸血症は、風邪などをきっかけに発作が起きることがあると聞いていたので、それが恐ろしくて外出ができませんでした。

それでも、自宅での生活を無事にスタートできたことは、本当に嬉しかったですし、少しづつ成長するほっちーに奇跡だ!!!と本気で思っていました。

体重8キロ

ほっちーがミルクを飲めないなりに糖水とMCTオイルのおけげで、順調に体重が増えてきました。

ほっちーの体重が8キロに到達したら、生体肝移植をするように準備を整えていました。

先天性代謝異常に詳しいと聞いた病院にセカンドオピニオンのために受診し、そこで生体肝移植を積極的にするべきとアドバイスを貰いました。

産まれすぐに発作が起きたけれども、それ以来、発作が起きていないからこそ、元気なうちに生体肝移植を積極的にするべきだという内容のアドバイスでした。

栃木県の小児も生体肝移植を行える病院に紹介状を書いてもらい定期受診をしながら、安全に手術が行える大きさに成長するまで、ほっちーを守りながら待ちました。

幸いにも体調を大きく崩すことなく、入退院を繰り返しながらなんとか8キロに体重が到達!!

そして、生後10ヶ月の時に生体肝移植の手術を受けました。

生体肝移植

わぎママの肝臓をほっちーの身体に入る大きさだけカットして、ほっちーの肝臓と交換する。

簡単にいうとそんなイメージです。

さしかえで点滴が外れた束の間の自由な時間

ほっちーの肝臓を交換することによって、酵素0のメチルマロン酸血症のほっちーの代謝する手助けをしてくれるようになるそうです。

(すごくわかり易くイメージを伝えているので、詳しい手術内容などは医師にご相談してください。)

そして、大体のお子さんが徐々に嘔吐の回数が減り、食べれるようになるケースが多いと説明を受けました。

もちろん、そうならない可能性もありました。

しかし、少しでも希望があるのなら、今の状況が改善できるのであればと思っていました。

もうすぐで退院できそうな頃のほっちー。興奮して鼻の穴前回(笑)

わぎママが失敗したこと

生体肝移植がゴールではないということ

当たり前のことなのですが…。

当面の間、生体肝移植を目標にしていた為、生体肝移植の手術が終わってた時ってしばらくしてから、とてつもない絶望感に襲われました。

セカンドオピニオンを受診し、生体肝移植を勧められた時に希望をもらった気持ちだった為、生体肝移植後暫く治療に時間が要すること、一切の外出ができないことに心が折れてました。

本当に辛かったです。完全に私の考えが甘かったと今でも思います。

病院の宿泊施設にて、いたずら中

生体肝移植をしたからといって、すぐに食べれるようにならない現実

今考えれば、これも当たり前なんですよねー。

生体肝移植をしたからって、すぐに身体が順応するわけもなく、まして病気が治っているわけではないので、普通のお子さんのように食事ができるようになるわけではないということを頭では、理解していたはずなのに…。

普通に食事が摂れるようになると期待していた自分がいたので、やっぱり現実を目の当たりにしたときにショックを受けてしまいました。

術後 病院の宿泊施設にて全力で食事を嫌がるほっちー。
全力で嫌がるのでブレブレ(笑)

胃ろう問題

生体肝移植後に食事が摂れなかった時のために、念の為にで胃ろうをほっちーの身体に造りました。

正直、嫌で嫌で嫌で…(笑)

本当に嫌で仕方なかったです(笑)

見た目も痛々しいし、胃ろうに頼って口から摂取できなくなったら、意味ないじゃん!!今まで、どんなに飲ませるのも食べさせるのも大変でも、鼻管も入れず胃ろうを造らずに頑張ってきたのに。

と本気で思っていたので、本当に嫌だったのです。

結局、術後は胃ろうを造ったのですが、一回も使わずにほっちーが入浴の時にスポンっと抜いてしまいました。

でも、いまだに臍の横に臍があるかのようにボコっと凹んでいます。それを見る度に、使わなかったんだから造らなくてよかったんじゃないのかなーと思います。

(胃ろうを造る同意書にはちゃんとサインしましたし、必要性は感じていたのでサインもしました。でもやっぱり…という気持ちは、今もあります。決して、担当してくださった先生に対する後悔ではなく、自分自身のモヤモヤで心の中に残っているんです。)

何度も言いますが…必要だったから、胃ろうは造ったんですよ(笑)それを受け入れられないのが、わぎママなだけで、担当医の判断は正しいんです(笑)

生体肝移植後

生体肝移植後のほっちー。

絶賛ムーンフェイス!顔パンパン(笑)

外に出れないので、病院の宿泊施設で三輪車。

ずっと入院していたので、足だけまだ筋力がなく細いです。

1歳1か2ヶ月という頃でしょうか。

まだ歩けません。

でも、こんなに可愛い笑顔で笑ってて、楽しそうなのでいいですよね(笑)

最後に

ここまで、転院から生体肝移植後の所までサラッと流れを書きましたが

(ほんとはサラっと書く内容じゃないような…(笑))

長くなってきたので、今回はこの辺で締めようと思います。

また、追って続きの記事を更新します。

もし、ここの所をもっと詳しく〜とかあれば気軽に言って下さいねー。

些細なことが、親御さんにとっては重要な事もあるので。

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